長野県信濃町にあった柏原スキー場(伊勢見山)の思い出:こぢんまりとした、地域密着型スキー場だったと思います

伊勢見山(いせみやま)とは

飯綱町に鳥居川が流れる理由」の話で、信濃町柏原(かしわばら1)地区の土地が少し高くなっている、と書きましたが、個人的に柏原周辺で高い場所といえば「伊勢見山」を思い浮かびます。その場所を以下の地図で示しました。
柏原の北側にはこの周辺では一番大きな湖である野尻湖があります。伊勢見山が柏原地区と野尻湖を隔てている感じです。
あと地図をよく見ると伊勢見山の北側に「神山国際村」というのがありますが、ここは割と古くから外国人向けの別荘地のある地区になっています。

勝手な妄想ですが、伊勢見山は柏原地区では一番高い場所で、その名前からすると、かつては山の上から伊勢(三重県)まで見えたとかいうことかもしれませんね2

伊勢見山にあったスキー場

なぜ私が伊勢見山のことを思い出したかというと、その山の斜面にはかつてスキー場があったからです。正式名は「柏原スキー場」だったようですがこの界隈では単に「伊勢見山」と呼ぶことが多かったように記憶しています。
この地域で冬にスキーに行くとすると今も昔も「黒姫高原スノーパーク(旧黒姫高原スキー場)」や「いいづなリゾートスキー場(旧飯綱リゾートスキー場)」などがメインになると思います。ですが伊勢見山が現役だった当時、伊勢見山にも、頻繁にとは言えないものの、時々スキーをしに行った記憶があります。

リフト1本、コース2本のみの小さいスキー場でしたが、その「こぢんまり感」が割と気に入っていました。あと、特に子供の頃だとスキーをしているだけでハッピーなので、大人のように「ゲレンデにバリエーションがない」みたいな文句が出にくかったかもしれません。あと、スキーが今よりはるかに人気があった当時、黒姫スキー場は時々混雑していることがありましたが、伊勢見山は良くも悪くもそこまで混むことはなく、リラックスして滑れたというのもあります。

伊勢見山に行くと、麓の周りをジャージ姿でクロスカントリースキーに励む地元の子供たちも時々目にしました。冬季オリンピック選手を輩出している信濃町、もしかすると当時この中に将来の選手がいたのかもしれません。

昭和51年の航空写真

実は、日本のスキーの歴史を担った場所だという説が??

いきなりですが、日本へのヨーロッパのスキーの伝来は、明治44(1911)年に新潟県の高田(現在上越市)の地で、当時のオーストリア=ハンガリー帝国陸軍のレルヒ少佐が陸軍第13師団に着任し、スキー技術を伝授したのが始まりである、ということが知られています。

ところでこの件に関連して、幾つかの文献によると

明治44年に上越の高田にレルヒ少佐が赴任した際、高田は雪不足で、野尻湖の神山(注:上で書いた外国人別荘の地域)に来てその付近の山(注:これが柏原スキー場の場所にあたる)で滑った

というような話があります。事実だとすると実は伊勢見山にも国内最古レベル級のスキーの歴史があったということになりますが…. あまり広く知られている話ではないようですし… どうなんでしょうね。

伊勢見山の現在

残念ながら伊勢見山のスキー場は21世紀を待たずに閉鎖されました。元々が小規模なゲレンデで客足もそこまでよくなかったのかもしれません。

今ではかつてのゲレンデの部分が上信越自動車道の通り道になってしまいました。まあ、どうやらかねてからここを高速道路が通る計画はあったようですし、高速道路の要望はそれなりにあっただろうと思います。当時、関越自動車道と上越新幹線により東京圏から上越方面へのアクセスが非常に容易になっていた反面、長野県北部は相対的に陸の孤島と化していた感じも否めませんので。

今でも当時のゲレンデの様子や、一緒にスキーに行った友達のことを思い出せます。伊勢見山スキー場、ありがとうございました。

脚注

  1. ちなみに「かしわばら」を地元の人は「かしゃばら」みたいな感じで言います ↩︎
  2. と思いましたが、この山だらけの長野県からこの程度の高さはでは伊勢は難しいかな? ↩︎

コメント

タイトルとURLをコピーしました