干支(かんし)、それは数に名前を付ける昔の中国由来の方法:十干と十二支をフルに活用

和算つながりで十干と十二支の話を書きました

前回の話では、和算の問題では十干(甲乙丙…)や十二支(子丑寅…)が出てくるので、まずはこれらに慣れた方がいいのではないかという話をし、それらの多少の解説をしました。
で、十干と十二支の知識が付いたならば、それらをフルに使っている「干支」、昔の暦での年の名前として出てくるものがよく知られていますが、そのことも触れておくべきだろうと思う次第です。

暦と和算の関係

いきなり少し余談ですが、江戸時代、幕府では暦の決定の仕事というものがあり、暦には天文学と数学を組み合わせた知識がいるため、和算家やそれに近い人物が役職を務めていました。ちなみに伊能忠敬の学問的師匠である高橋至時は、江戸幕府の天文方という役職に就いていた人物です。天文学や数学は測量にも関係あるというか、必要な知識だったからです。
というわけで、和算のことを考える時、昔の暦、暦学というものも無視できない分野ではあります。

とは言いつつも、以下の話は暦といっても単に「年をどう呼ぶか」という部分の話なので、ご了承ください。

昔の暦の年(干支)は、十干と十二支をコンボで使う

以前の話で、5つ程度のものに名前を振るのに使われる「五行」、10個程度の場合の「十干」、12固程度の場合の「十二支」、があるという話をしましたが、今回出てくる「干支(かんし)」は、それらを組み合わせてもっと数が多いものに名前を振る方法である、と見ることができます。そして干支の一番有名な使い方が、昔の暦での年の呼び方です。
以下でどういう風に十干と十二支が使われているかを説明します。

干支では、十干と十二支の二桁で表しまます。例えば最初の桁が「甲(きのえ、十干)」、次の桁が「午(うま、十二支)」で「甲午(きのえうま)」のように。
例えていうなら「アイウエオ…」と「ABCDE…」を組み合わせた「アA」とか「イB」みたいなもの1で年を表す感じでしょうか。
と十二を組み合わせるということで「干支」と呼ばれるようです。

干支に出てくる名前のルールで一つ興味深いのが、次に移る時は両方の桁が進むことです。上の説明で言うと最初「アA」なら次のは「アB」とはならずに「イB」になります。さらに次は「ウC」です。実際の十干と十二支の組み合わせで書くとこの三つは「甲子」「乙丑」「丙寅」となります。
一つ進むと両方の桁が増えるルール」とでも言いますか。

干支の名前(漢字 音 訓)十干番号十二支番号
1甲子 こうし きのえね11
2乙丑 いっ2ちゅう きのとうし22
3丙寅 へいいん ひのえとら33
10癸酉 きゆう みずのととり1010
11甲戌 こうじゅつ きのえいぬ111
12乙亥 いつがい きのとい212
13丙子 へいし ひのえね31
60癸亥 きがい みずのとい1012
干支の名前のルール的な表

十干と十二支、名前がそれぞれ10個と12個しかありませんから、それぞれ全部の名前を一通り使ったら元に戻ります。
例えば干支の10番目は「癸酉」で最初の桁が十干の最後の「癸」なので次では「甲」に戻り、一方で二桁目は十二支の11番目である「戌」に進む結果、干支の11番目は「甲戌」になります。
同様に、干支の12番目は2つの桁それぞれが一個進んで「乙亥」、ここで二桁目が十二支で最後の「亥」なので、次ではー桁目は十干の「丙」に進む一方、二桁目は十二支の最初の「子」に戻り、その結果干支の13番目は「丙子」になる、といった具合です。

ちなみに今の時代に「今年の干支(えと)は」と言う場合のあれは、本来の干支の二桁目部分、十二支のみを示しています。例えば2025年はヘビ年(巳年)ですが、フルの干支で言うと「乙巳」(音読み:「いつし」、訓読み:「きのとみ」)です。干支自体はほぼ使われなくなっても、干支の二桁目だけは存在感がある感じですかね。

今使われている干支(えと)という言葉の「由来」

というわけで、本来はこの60パターンの名前を干支と書いてその読みは「かんし」なのですが、今の日本では二桁目の十二支しか気にしなくなったのと、十干の甲乙丙… が訓読みだと「〜え」「〜と」(「きのえ」「きのと」等。詳しくは前回の話)という感じの名前なのでこれを「えと」と呼ぶようになり、色々混ざった結果、十二支のことを干支と書いて「えと」と呼ぶようになっているようです。ややこしいですね。

暦の周期性に由来するあの言葉

一応和算繋がりなので、ちょっと数学っぽい話にしてみます。
上のようなわけで、昔の暦は一桁目が10年周期、二桁目が12年周期、で回る感じですね。
片方が10周期、もう片方が12周期で回っていると、いつかその両方が同時に最初に戻ることがあるんですね… それを数学で何と言うでしょう… はい、皆さん鋭いですね、「公倍数」です。
では一番最初に、同時に戻るタイミングは… はい、「最小公倍数」ですね。10と12の最小公倍数は… 60です。と言うわけで暦は60年毎に、最初の「甲子」に戻り、その後は「乙丑」「丙寅」… と前回(60年前)と同じ名前の列が繰り返されます。それを次の60年、その次の60年… と繰り返します。
これが60歳のことを「還暦」と言う理由ですね。

ところで、干支は10個の「十干」が一桁目、12個の「十二支」が二桁目、で出来ていますが、もし両者を単純に組み合わせるだけだったら何パターンできるしょう…. はい、10×12=120通りですね。なのに還暦が60年ということは… 十干と十二支の名前の可能な組み合わせのうち、ちょうど半分しか使われていないということですね。
これは上で書いた「一年進むと両方の桁が増えるルール」のせいですね。数字の繰り上がりのように、一桁目が0123456789… と最後まで行った後に次の桁が増えて10、という風になっていないので、いわば飛び飛びに数が増えているんですね。
ではどの名前のパターンが許されるのかというのは… 気になった方はご自身で考えていただけると。

少しだけ雑学を(って、そもそも雑学みたいなものか)

昔の暦の呼び方は色々なところで使われています。例えば「甲子園」、これは球場が建設された1924年が「甲子」の年だったのですね。甲子は、甲も子も一番最初で縁起がいいとされているようです。「還暦」が60年なのでその次の甲子は1984年で、さらに次は2044年ですか。
ちなみに、この記事を読まれた方は「甲子園」をあえて訓読みで「きのえねぞの」と読んでみるのはいかがでしょうか。ちょっとお洒落? 違うか。
丙午(ひのえうま)に関して「この年の生まれの女性は気性が激しく、夫の命を縮める」という迷信があるそうで、前回丙午であった1966年には子供の出生数がだいぶ減ったそうです。
他には歴史上の出来事…「壬申の乱」の「壬申」、「戊辰戦争」の「戊辰」、「辛亥革命」の「辛亥」などですね。

しかしどうなんでしょうね。60年周期でしかないものを歴史上の出来事の名前に付けるというのは。60年後以降は本当は何年前だったのか分かりにくくなりますよね。
あ、もしかして不幸な災害などを日付で覚えることに似ていますか? この場合は一年毎にその日がやってきて、毎年皆で当時の記憶を風化させず、被害に遭われた方をお祈りしたり…
でも、昔は「人間五十年」などとも謳われたぐらいで、還暦が巡ってくる頃には… あるいはむしろ、その当時の人が存命の間ぐらいで分かればいいと思って名前をつけているのか…

あれ、何のためにこの記事を書いてたんだっけ?

脚注:

  1. こうやって「アイウ」や「ABC」で説明した方が今の我々にとってはわかりやすく、「甲子」などと書かれた時点でちょっと戸惑いますよね。それが前回の記事で「甲乙丙などの言い方に慣れよう」と思った理由です。 ↩︎
  2. 乙の読みは普通「おつ」ですが干支の中では「いつ」という読みになるようです。ただ、「おつ」の読みのまま乙丑を「おっちゅう」と読む場合もあるようです。他の乙を含む干支の名前でも同様です。 ↩︎

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