水内(みのち)にある善光寺の町
以前の記事で「上水内郡(かみみのちぐん)」という地名の由来を考察し、長野市は「水内(みのち)」と呼ばれる、たくさんの川に囲まれていることを意味する地域の中心であることがわかりました。
一方で長野市の成り立ちとしては、善光寺と共に発展したいわゆる「門前町」であることがよく知られており、そちらの面も外せないのですが、以下の話は上に書いた「水内」の中心であったことにつながる話になるかと思います。
ブラタモリ「的」な考察とは
「ブラタモリ」とは、説明するまでもないもしれませんが、タレントのタモリさんが出演されているTV番組です。
この番組の趣旨を私の解釈で勝手にまとめさせていただくと、日本各地の比較的有名な場所に出向き、その地の現在でもわかる地理的な特徴などを元に、かつての状況を推測したりする、そのような番組と理解しています。
実際、以前ブラタモリで善光寺が取り上げられたことがありました。そのときは、主に善光寺周辺の土地が高くなった部分に関する考察を行っていたと記憶しています。
今回の記事では、それとは別の、私の視点で善光寺の町を眺めてみたいと思います。「なんちゃって」ではありますが。
ところで「善光寺の町」と書きましたが、これは「善光寺の参道に沿った町とその周辺」1のつもりでそう呼んでいます。
善光寺の町の道筋の特徴を眺めてみる
善光寺の町は、善光寺を起点としてその南側に広がった町で、地図で見てみると、基本的には東西南北の通りでできていますね。「碁盤の目」というほど整ってはいませんが、おおむね縦の通りと横の通りでできている町に見えます。
善光寺の前から南に伸びる参道の「中央通り」を中心に、それと並行に走る道と垂直に交わる道がある感じです。

よく見ると、碁盤の目とは異なる道筋が?
ところがもう少し細かく道路を見てみると縦横に走る道路だけではないことがわかります。
長野県庁がある場所より南のあたりを少し拡大してみますと、以下の地図のような感じです。

何というか、向きが斜めでかつ蛇行している断片的な道が沢山あるように見えます。これは一体?
斜めの道筋の特徴
これらの、斜めに走っている道には以下のような特徴があるように見えます:
- 蛇行している:平地で人が通行する道として、このように蛇行している理由がよくわかりらない。
- 特徴的な道の方向:ほぼ全ての小さい道は北西 – 東南の似たような向きである。そしてそれらに直行する方向の道はほとんどない。さらによく見ると道がなんだか枝状に広がっていく感じになっている。
- 長野駅との関係:道の方向的には長野駅という交通の中心を向いてはいますが、道の断片的な感じなどから、長野駅へ向かうために作られた道ではどうもなさそう。
- 水路の存在:これらの道路に沿って、水路らしきものもちらほら見える。
なぜこのような特徴があるのでしょうか。
このような特徴を持つ道の正体は
一般的には「暗渠(あんきょ)」と呼ばれるもの、あるいは川に沿ってできた道、と考えられます。
暗渠とは、元々川であったところに「蓋」をして、元の川の上にできた道です。
さらに暗渠にも次の2通りがあります:
- 元々人工的な運河などが作られていたが、蓋をされて道になった
- 自然の川そのもの、あるいはそれに近い川が流れていたが、蓋をされて道になった
1. は割と直線的な場合が多いので、善光寺の町の、このように蛇行する感じの道は、2. の元々自然の、あるいは自然に近い蛇行のある川の流れを暗渠にした道であると推測できます。
では、それら暗渠道の元になっている川は一体何なのか、という話になりますが、以下それを考察していきます。
善光寺の町を地理的および農業的に眺めると
個人的には、善光寺の町を「善光寺の門前町として栄えた」「長野県庁があり、行政的にも商業的にもこの辺りの中心的な町である」といったような切り口でしか見てませんでしたが、地理的および農業的には
- 長野市の西側の山からを流れ下りる裾花川によりつくられた扇状地の麓に町が広がっている
- 裾花川は農業の水源としての役割も果たしていて、裾花川の水を取り入れて南東方向へ灌漑している
という背景を持ちます。その結果として、善光寺の町には
- 稲作のための水を流す用水が存在する(現在も、それも割と沢山)
のですね。それを以下で見てみます。
善光寺の町は用水の町でもあった
かねてから、長野市の市街を歩いているとたまに用水のようなものに遭遇するなあと思っていましたが、今まであまり気に留めていませんでした。
実は(私が知らなかっただけか)、歴史的に善光寺の町には以下のような農業のための用水(川)が存在します。そして長野市が市街地化された現代でも、場所によっては開渠(川の流れが見える)あるいは暗渠(川が見えない地下水路)として存在しています。
- 鐘鋳川(かないがわ)
- 北八幡川(きたはちまんがわ)
- 南八幡川(みなみはちまんがわ)
- 古川(ふるかわ)
- 計渇川(けかちがわ)
- 漆田川(うるしだがわ)
(注:これらを呼ぶときに「〇〇堰」と呼ぶ場合と「〇〇川」と呼ぶ場合があるようですが、ここでは「川」に統一しました。)
川の名前からして古い歴史がありそうです。例えば「計渇川(けかちがわ)」2とか、どういう由来なのか気になります。
これらの川の流路を概観するため、開渠の部分と暗渠の部分を繋いで3地図に描いてみました。
(注:この図では長野県庁あたりから南側の地域に注目したため、それより北側にある鐘鋳川は描かれていません。)

うーん、県庁所在地の市の中心部とは思えない河川(用水)の充実っぷりですね?
すでに述べましたが、これらは「かつて存在した用水」ではなく現在も活用されている用水です。さらに街中とはいえ開渠のままで川の流れを見られる場所が随所にあります45。
どの用水もおおよそ北西から東南の向きに沿って流れ、細い道が用水沿いにあったり、暗渠の場合は道が用水の上を通っていて、どちらにしても道がこれらの用水に影響されているのがわかります。
なお、ここに列挙したのはあくまでも用水の「本流」と呼ぶべきもので、実際にはこれらの支流・分流などもあり、そしてそれに関係する暗渠道などもありそうです。
以前の記事で「水内(みのち)という地名の由来は、この地域が千曲川・犀川・裾花川といった大きな河川に囲まれているのが理由である」と書きましたが、小さな川(用水)に関しても「みのち」と言えるような、川にとても縁のある場所なのだなという印象を新たにしました。
さらに歴史をさかのぼると:裾花川の瀬替え
これらの川、どれも農業用水として使われているのですが、人工的に作られた水路だと考えるには、あまりにも流路が蛇行しています。それはなぜでしょう。
その理由は、これらの川は「自然の川」を由来としているからのようです。ではその「自然の川」とは何かというと:現在は善光寺の町の西の橋をまっすぐ南へ流れている「裾花川」なんだそうです。
元々裾花川は善光寺の町を北西から南東に横切るように流れていましたが、江戸時代の初期に現在のような西側を真南に流れるように流路変更の工事(瀬替え)をしたそうです。
元の流路の裾花川は、自然の流れのまま善光寺の町や農作地を横断し、ときに氾濫して町や農作地に被害を与えており、それを防ぐための瀬替えだったようです。
現在の北八幡川や南八幡川あたりが、元々の裾花川の流路だったのではないかと言われています。
まとめ
現在の善光寺の町にある道の特徴を考察することにより、善光寺の町には沢山の用水があることや、道筋と古くから存在する用水との関係が見えてきました。
善光寺の町には昔からの用水が思ったよりもそのまま残っています。たとえ暗渠になっている部分でも、道が独特のカーブを描きながら続いていて、それは元々の川の蛇行や流れを感じさせます。もし、これらの川の流れが、瀬替えを受ける前の元の裾花川の流れを残しているものだとしたら、それはとても感慨深いですね。かつての歴史的な地形(川の流れ)が現在も道の形として刻まれているとでもいいますか。
謝辞
この記事で善光寺の用水の流路の実際の位置をたどるにあたって、ブログ「永遠の嘘をついてくれ」の記事と、YouTubeチャンネル「なげき」の動画が非常に参考にありました。ありがとうございました。
脚注
- 例えば「善光寺門前町」という言い方がありますが、これだと善光寺の参道(現在の「中央通り」)周辺だけのような印象があります。この記事では、善光寺の門前に広がる、もう少し広い範囲を眺め、それを「善光寺の町」と呼ぶことにします。 ↩︎
- 「けかち」を調べると飢渇・飢饉の意味だとあり、アナロジーで考えると、例えばこの川は水量が少なくなりやすいとかそういう意味だったりするんでしょうか? ↩︎
- ただし暗渠の部分の流路はよくわからない部分もあり、必ずしも正しくはないです。ですが、川の流れである以上、暗渠の部分は開渠の部分と比較的滑らかに繋がっていると想定して流路を描きました。 ↩︎
- これは長野市ならではの特徴といいますか。都市化と共にかつての河川が暗渠になる、これは日本中で見られますが、大都市になるほど暗渠化が完全に行われ、川の流れなど見るよしもなかったりします。しかしながら長野市は現在に至るまで割と街中でも川が見えたままの箇所が随所にあり、水もちゃんと流れています。単に大都市ではない、ということなのかもしれませんが、個人的にはそんな風景が気に入っています。 ↩︎
- 日本各地で見られる川の暗渠化のパターンとして、都市化が進んで川が生活排水等でドブ川化し、蓋をせざるを得なかった、みたいなのもあります。今でも開放的な用水が多い長野市に関してはそのストーリーにならなかったようですね。背景に農業用水として水質が大事にされたとか、あるのでしょうか。 ↩︎


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