飯綱町の古老は語った
いきなり大袈裟かもしれません。でも聞いてください、私は地元の古老1からこんな話を聞いたことがあります。何かのお祭りのときの集まりとか、そういう場だった記憶があります。「昔の牟礼(旧牟礼村)は〜」みたいな話になって
牟礼(現在の飯綱町)を通る鉄道(旧信越本線)が建設されたとき(明治の頃)、本来は小玉(地区)のあたり(今の牟礼小学校の北西側の田んぼのあたりをイメージした話だったと思う)に駅を造る予定だったが、当時の人は「汽車(蒸気機関車)からばらまかれる煙で田んぼの稲が枯れたり火事になる」と主張して、その結果、当時は人里離れた場所だった現在の栄町(地区)に駅が造られた。
という話2でした。
(あと、栄町のあたりの別の呼び方があった気がするけど、よく思い出せない、また別件で)
それを聞いた当時の私の反応
それを聞いた、当時子供だった私は、頭の中で、線路を電車でなく蒸気機関車が火の粉を含んだ煙を激しく吐きながら走るイメージ(念のため断っておくとこの話を聞いたのは既に電車になって久しい時代です)や、駅に停車するイメージをした後、気になったことをこう聞き返しました:
駅がどこかとは関係なく、汽車が走る線路の周りはどこでも煙がかかるんじゃないの?
すると古老は、何か想定外の反応をされたような、訝しげな表情をしました。今なら理由が少しわかります。「貴重な話を教えてあげたのに、この子供は面倒くさいなあ」と思ったかもしれません。
そして少し考えるとこう言いました:
駅の方が、汽車の滞在する時間が長いので、より被害が大きくなる可能性があるんじゃないか。
…子供の私も何かを察して、一応納得したふりをしたのでした。
いや、実際は物申す、というほどではないのですが
というわけで、古老の言っていた話を丸ごと信じていないわけではありませんが、子供の頃の私が思ったように、ちょっと説得力が欠ける部分もあるように思います。
というわけであらためて、小玉地区の付近に駅を造るための条件をちょっと考えてみたいと思います。
現地付近の様子
駅が作られる可能性のあった場所というのは、Googleマップでいうとたぶんこの辺です。現在の牟礼駅の位置より古間駅側へ2kmぐらい移動した辺りです:
このあたりの現在の航空写真ですが

現在は普通に鉄道(北しなの線)の周りに田んぼがありますね(田が黒く見えますが、田おこしをした後なのかな)。列車の影響を恐れて耕作地を線路から離す、みたいな感じは少なくとも現在はありません。
念のため昔の地図、とりあえず入手可能な最古の物が1912(明治45)年の五万分の一の地形図ですが、

上と同じあたり、田んぼの記号(縦二本棒の下に横棒)が普通に鉄道の周りにあるので、鉄道の周りとか気にせず田を耕していたのではないかという… 細かい地図でないのであれですが。
というわけで、鉄道による田んぼへの影響を恐れている状況は今も昔も見あたらない感じ??
牟礼駅前後の鉄道の経路の特徴のおさらい
以前の記事で書きましたが、このあたりの鉄道の経路は特徴的です。豊野駅から牟礼駅を経由して古間駅に行く区間は、鉄道が、ほぼ鳥居川が形成した谷の中を走るように線路が敷かれているのです。
これには長所と短所があります。大雑把に
- 長所:鳥居川が悠久の時を経て形成した、山を削り平地を作り、勾配の安定した流路の地形を、鉄道が利用できる。
- 短所:鳥居川の流路の特徴に鉄道も影響されまくる。川の流れの勾配に鉄道の勾配も合わせる必要がある。川が蛇行したら鉄道も蛇行せざるをえない。しかし鉄道は大きい勾配や急なカーブは無理なので、それら場合は何らかの対応が必要。
- 牟礼駅と古間駅の間にある戸草トンネルと大廻トンネルは、地図で見ると川の蛇行の問題のためにあるように見える。
鉄道の駅は平らな場所でないと造れない
もう一点、鉄道は坂に弱い、とこのブログで何度か書きました。それは車で滑りやすい道を走っているようなものでもあります。
いきなりのアナロジー(類推)の話ですが、飯綱町で車を運転される方は雪道での運転の経験もおありかと思いますが、雪道での運転のコツの一つに
- 上り坂ではできるだけ止まらない
と言うのがあります。なぜでしょう。
逆に止まったらどうなるのか。車は重いので、停止後の再発進には大きな力が必要、上り坂となるとさらに大きな力が必要ですが、滑りやすい路面(雪面)ではタイヤがそれを負担できず、最悪タイヤがスピン(空回り)して再発進ができなくなったり(スタック)します。一方止まらずに通過するならば、タイヤと路面の間に強い力がかからないので大丈夫です。
実はこれと同じことが鉄道にもあります。駅では当然ながら列車は停車・発車しますが、もし急勾配の途中に駅をつくってしまうと、車の雪道での坂道発進同様、列車の発車時に車輪がスリップしてしまう可能性があるので、そのような線路の部分に駅は造れません。したがって、駅は平らな場所に造る必要があります。
鳥居川に沿った路線+駅の平地の要請=?
というわけで、
「駅は線路の平らなところ(勾配がほぼゼロの場所)にしか作れない」
ということがわかったので、
「今の牟礼駅の位置以外で、駅を造れそうな場所ってどこら辺だろう」
と考えることはすなわち
「牟礼駅前後の鉄道の経路上で、勾配がゼロに近いのってどこら辺だろう」
という質問の答えを探すのと同じことになります。
(細かいことをいうと、たとえば勾配が平らでも人気(ひとけ)のない場所に駅を造っても仕方ないですが、今は純粋に線路の勾配の問題のみを考えています)
では詳しく見てみます。国土地理院が提供するオンラインの「地理院地図」で、指定した場所の標高を断面図として表示する機能があります。ここではそれを使って、豊野から小玉まで、線路沿いにどう標高が変化するかを調べてみました。それが以下です。黒線はまさに鉄道に沿わせてあるので、その高度変化を見ることができます。あと例によって地形をわかりやすくするように赤色立体図を使用しました。

注:小玉と牟礼駅の間の局所的な落ち込みは、線路が八蛇川を渡る鉄橋の部分のようです(線路の高さでなく川の水面の高さが表示されている)
というわけで一目瞭然、豊野と小玉の間はほぼ一定の勾配(前回書いた、例の25パーミルです)で上っています。ある意味見事ですね。そして平らなところは牟礼駅のところだけ3であることがわかります。上で示した駅の予定地(だったかもしれない)場所(小玉の辺)の線路も25パーミルの上り勾配です。
したがって、
「牟礼駅周辺の鉄道の経路上で牟礼駅以外に駅を造れるところがあるか?」
という問いを発したならば、その答えは
「牟礼駅の位置以外に平らなところがないので、ノー」となります。
牟礼駅にたどり着くまでもずっと上り、牟礼駅を出た後の小玉のあたりもずっと上り坂ですので、経路上の牟礼駅以外の場所に駅を造れそうなところはありません。
上で書いた古老の言葉はどうなってしまうのでしょうか。
可能性1:駅の場所を決めてから線路の勾配を調整する?
少し考えてみると、上の話はあくまでも「現在の、栄町地区に駅がある状態での線路の経路・勾配」です。それと牟礼駅〜古間駅間の線路は、前の記事で書いたように築堤を造ったり切り通しを造ったりと、今の駅の位置の場合でさえ結構な土木工事を必要としていますから、
1) 駅の場所を現在とは異なる場所に設定
2) 設定した駅の場所に合うように路盤の勾配を調整する土木工事をしながら線路を敷設
3) その後に駅を建設
することも可能かもしれません。
ただし、路線の特徴で述べたように、鳥居川の谷を走っている区間では勾配調整等の自由度はほぼありません。一旦鳥居川の谷から解放される、牟礼駅〜小玉付近でのみそれが可能です。
というわけで、例えば小玉のあたりで駅の長さの分、平らに線路を敷設して、それ以外の区間で勾配を負担するのではどうしょうか。次の図のような感じです。太線が現在の線路の路盤です。

青く塗られた部分のように盛土をして、平らな部分を現行の牟礼駅から小玉の方に移動する感じです。結果「仮想牟礼駅」と書かれた位置に平らな部分ができて駅を造れるようになります。
ただこれはちょっと盛土の量が多いかもしれません。図で書いた矢印の高さの嵩上げを負担しないといけないですね。これは、図から分かるように牟礼駅の平坦区間の距離の間に上る高さに相当しますが、ざっくり、駅の長さ=200メートル、勾配25パーミルとすると、盛土の厚みは
200メートル×25パーミル=5メートルとなります。5メートルはちょっと多いですかね。すでに牟礼駅のすぐ西側は築堤になっていますがあれをもっと高くすることになります。
盛土の量を減らすには、少し勾配を強くする方法はあります。例えば以下のような感じです:

これだと、最初の案に比べて盛土が半分で済みます。ただし勾配が少し増えます。上で計算した、5メートルの高さ分を牟礼駅の位置から仮想牟礼駅の位置まで進む間に負担しなければなりません。
ざっくり牟礼駅と仮想牟礼駅は2000メートルぐらいの距離がありますので、その負担分の勾配は
5メートル/2000メートル×1000=2.5パーミルです。現行の勾配に+2.5パーミルする感じです。厳しいかな。どうでしょう。
可能性2:姨捨駅方式=平らな引込線を造ってスイッチバック?
今までにも説明しましたが、姨捨駅方式とは、本来の線路(本線)に沿って駅を造るのでなく、そこから脇へそれる引込線を造って、かつその引込線の末端は平らになるようにし、そこに駅を作ります。
これの問題点は、引込線の用地確保と建設という余計なコスト、さらに普段の運用も、駅に停車する際にいちいち引込線へのスイッチバックが必要なので面倒ということです。
これはもうそれしかないという最後の手段のようなもので、「仮想」牟礼駅のためにこれは負担できないでしょう。だったら現在の牟礼駅の位置でいいですね。

というわけで
古老が言っていたような小玉あたりの駅の位置は、現行の鉄道の経路では実現できなさそうですが、この記事で書いたような線路の路盤の(再)整地をすれば可能かもしれない?
ただ、上で示した標高の断面図からわかるように、鉄道の経路上に平らなところがほとんどないのも事実で、そして現在の駅の位置はその限られた平地の一つではあり、やはりそれが駅の位置の選定の要因になっていた可能性はあります。
それに上で説明したような整地は、自分で言うのもあれですが、ちょっと厳しい部分はあるかも?ただ、現行の鉄路も築堤やら切り通しやら結構な土木量の結果でできているのが見えるので、やろうと思えばできる範囲ではあるのかなと思います。
補足1: 鉄道忌避伝説というもの
どうやら、この手の「鉄道を恐れて離れた場所に駅を造った」的な話は日本全国にあり、鉄道忌避伝説と呼ばれたりするようです。細かくいうと「忌避」には
- レベル1:鉄道が通ること自体に反対するもの(結果、鉄道ルートが変更)
- レベル2:鉄道の駅や付帯施設の建設に反対するもの(結果、駅や施設が移動)
があるようです。
「伝説」と言われるのは、話の出典が不明だったり、実際には地形の問題等を解決するための選択だったり、地元の人も実は鉄道は歓迎だったりしたからのようです。
補足2:牟礼駅の鉄道忌避伝説?
牟礼駅の場合、「駅の位置に反対」したということで、上の区分だと「レベル2」になります。
調べてみると文献で「小玉地区のかつての大地主の方4が中心になって反対した」という記述が見られました。というわけで無根拠というわけではないようですが、もしかしてこれも「伝説」なのでしょうか? よくわかりません。
こちらは個人名まで出ているので、裏を取ることは比較的可能であると思いますが… とは言っても明治前半の頃の話ですから直接の当事者の話は無理で、子孫の方が何か話を聞いたり文献をお持ちではないか? といった感じになりますが。
脚注



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